断酒新生指針

一 酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけではどうにもならなかったことを認める

 

酒害者の酒に対する執着は凄じい。悩み苦しんでいる家族よりも酒の方を選び、ときには、コップ一杯の酒に自分の人生を賭けてもよい、と考えることすらある。

内臓疾患、職場での重大なミス、離婚問題等が動機になって節酒に挑戦し、何回となく失敗してもなお、酒に対して無力であるという現実を認めることができない。

節酒ができないことを認めて、ときには断酒に挑戦する人もあるが、ほんの数日でまた飲み始める。そして、例えわずかの日数でも酒を断つことができたのだから、今度こそ節酒ができるはずだ、と考えている。

何度同じことをくり返しても、自分が酒に対して意思が働かない人間であり、アルコール依存症になっているとは認めない。酒に対する無力の承認は、もう二度と酒を飲めないことを意味する。そしてそれは、生甲斐のすべてを 酒害者から奪いとることでもあるのである。

また、アルコール依存症ほど理解されていない病気も珍しい。低人格、意志薄弱人間がなると考えている人が多く回復が可能だと考えている人は極めて少ない。この病気に対する偏見、誤解は社会に充ち溢れている。そして、酒害者自身が世間と同じ偏見を持っていることが、問題の解決を難しくしている。自分をアルコール依存症だと認めることは、己の全人格を否定することにもなりかねないのである。

しかし、事実は事実として素直に受け入れよう。酒に対して無力であることは、決して恥ずかしいことではない。アルコール依存症は元来、酒を絶対にコントロールできない病気であり、人格が原因で発病するものではない。 自分がアルコール依存症になっており、酒に対して無力であるという事実を認めないことが恥ずかしいことであり、断酒を決意し、この病気から回復しようとする努力は誇れるものである。

自分自身の偏見を捨てよう。病気の進行とともに人格の荒廃が進むことがあるが、それはこの病気特有の症状であり、断酒することによって徐々に回復する。

われわれ酒害者の人間としての本質価値は、一般の人たちと何ら変わるところがない。また、断酒が継続される過程で様々な問題意識が生まれ、それらを解決していくうちに、信じられないような新しい人生が拓けるのである。

酒に対して無力であることを認めたとき、断酒への努力が始まる。しかし、 自分ひとりの力だけで断酒しようとする人たちは、必ずといってよいほど失敗する。自分ひとりだけの弱さを認められない人の自信は過信でしかなく、「孤独な病気」と呼ばれているアルコール依存症を、充分に理解していないことにある。

われわれは孤独になることを望んでいなかったが、酒にすべてを支配される生活を続ける中で周囲の人たちの信頼を失い、孤独はどんどん深まっていった。ついには、その孤独の怖ろしさに震え、自らを責めさいなんだ。

酒害者の哀しさは、酒を飲むためにはどんな嘘でもつかねばならないことにある。そしてその嘘が、孤独の最大の原因になる。勿論、嘘をつくことには後ろめたさもあり、それなりの反省もするのだが、だからといって嘘をやめるわけにはいかなかった。命よりも大切な酒を飲めなくなるからである。

嘘のくり返しが延々と続く中で、酒害者にとっての嘘は、生きていくための必要悪となる。われわれは酒以外の問題で嘘をつくことはなかったのだが、生活のほとんどすべてが酒に関わってくるとなると、他者から見て、どうしても嘘で固めた人間になる。

その嘘が原因で、われわれは誰にも相手にされなくなった。ひとりぽっちの孤立した暮らしの中でますますひどい酒を飲むようになり、心身ともにぼろぼろになった。アルコール依存症は酒をコントロールできない病気である とともに、孤独が際限なく深まる病気だともいえるのである。だから、この病気から回復するためにもっとも必要なことは、孤独から抜け出すことである。言い換えれば、信頼できる仲間をつくることである。

ひとりでは酒をやめられないから、必然的に断酒会ができたと考えることができる。酒害者は酒の歴史とともに生まれていたと思われるので、ずっと以前から酒に悩む人たちの中には、酒を断つしかないと考えた人もいただろうし、ひとりでそれなりの努力をした人もいたと考えられる。だが、そうした人たちの努力がことごとく破れたため、アルコール依存症は不治である、という偏見が生まれたのではないだろうか。

われわれ自身を振り返って考えるとよくわかることだが、何度かひとりで 酒を断(た)つ努力をした結果は無残なもので、断酒会に入会することでやっと断酒できたのである。断酒会をはずしてわれわれの断酒はあり得ない。

断酒会でわれわれがやっていることを、非指示的集団療法と医療関係者たちは呼んでいるが、正にその通りで、誰かの指導で酒のやめ方を学んでいるわけではない。われわれは断酒会にまったく平等な立場で参加し、本音で話し合える仲間としてお互いが助け合い、励まし合い、啓発し合って新しい生き方を目指すのである。そうした信頼関係が断酒会の中で得られるため酒がやめられるのだから、われわれはとてもひとりで断酒できるとは考えられない。

また、断酒会に入会して数年断酒が継続されている人の中に、「これからはひとりでやめていきます」という人がいる。絶対やめられないと思っていた酒がやめられたときの歓びは、ロでは表現できないほどだ。正に奇跡だと思う。

だが、そのとき、断酒会が自分に奇跡をもたらしてくれたと考える人は道を間違わないのだが、自分は奇跡を起こすほどの力のある人間だと勘違いした人は、自分を過大評価するようになる。自分独自の発想や実践方法を絶対的なものだと考えるようになり、もう仲間といっしょでなくてもやっていけると考える。

そうした人たちが断酒会から離れて、どんな結果を出しているのだろうか。 ほんの短い期間なら、その人独特の考え方でやっていけるかもしれない。しかし、ひとりほど弱いものはない。理解してくれる人も助言してくれる人も周囲にいなくなると、結局は自分の殻の中に閉じこもってしまうしかない。 そして、酒を飲んでいなくても、あのひどい酒を飲んでいたころの孤独な状態に戻ってしまう。

考えてみれば、その人にとって酒はかつて、孤独を一時的に解消してくれる特効薬でもあった。人間の記憶はかなりいい加減なもので、また、時間の流れは怖ろしいものである。ひとりぼっちの断酒が苦しくなったとき、過去のつらい酒のことだけを思い出せばよいのだが、もうひとつの楽しい酒の記憶が戻ったりする。そうなると、飲酒の誘惑に勝てなくなるのは時間の問題になる。

とにかく、ひとりで断酒するといって会から離れて、よい結果を出している人はいない。われわれは、ひとりでやめられるというどんな強い自信を持ったにせよ、現実をじっくり見れば、断酒会から離れることがどんなに危険なことかよくわかるはずである。

われわれは、そうした先輩会員の脱落への過程を素直に受け止めて、自分ひとりの力だけではどうにもならないことを、改めて確認しよう。そして、これからの自分の断酒の糧(かて)にしよう。

二 断酒例会に出席し自分を卒直に語る

断酒とは自らの意思によって酒を断つことで、外からの圧力で酒をやめさせられる禁酒とは意味が異なる。従って、断酒会ではどんな場合でも強制があってはならないのだが、例会出席に関してだけは「必ず」という言葉がよく使われ、「鉄則」だとさえいわれている。

どんな組織に入会しても、それがたとえ趣味の会であったとしても、その組織が催(もよお)す会合に出席することが第一条件であるが、断酒会の場合はそれが特に強調される。自分ひとりの力だけではどうにもならないことを認めて入会したので、あるいは入会後、そのことが身にしみてわかったので、出席するのは当り前のことだといえばそれまでだが、これには多くの重要な理由がある。

断酒会につながるには二つのケースがある。一つは、地域から直接に入会するケースである。この場合、ひとりで何とか酒を切っている人もあるにはあるが、まだからだの中のアルコールが抜けていない人が圧倒的に多い。

家族や友人の説得で、自分自身の意思で、あるいは断酒会員の酒害相談に反応してその気になっていても、突然酒を切ることになるので、彼らの心が不安定なことは致し方のないことである。

断酒意欲と飲酒欲求が交互にめまぐるしく彼らを襲うので、活力と、不安と、焦ら立ちに、自分を見失ってしまいそうになる。こうした場合、再飲酒を防ぎ心の安定を得るために、どうしても飲まない時間を稼ぐ必要が生じてくる。

それを可能にしてくれるのが、酒を飲んでいない仲間が大勢集まっている例会である。例会に毎日のように出席することで、共通の体験を持つ会員たちの話が彼らを落着かせ、不安と焦ら立ちが嘘のように消える。人によってはそれでも不充分なことがあり、それを補ってくれるのが仲間への電話であり、訪問である。

もう一つは、病院で治療を受ける中で断酒を決意し、断酒会につながったケースである。この場合、治療中に酒が切れ、安定し、いろいろなアルコール依存症に関する知識を得たといっても、それだけですんなりいくものではない。

頭の中で組み立てた地域での断酒のイメージと現実との差に戸惑い、前者 同様、不安や焦ら立ちに襲われて飲酒欲求が起こることがある。前者のようなからだの欲求は少ないが、その他は同じである。従って、彼らも時間を稼ぎ、地域の断酒会に早く馴染む必要がある。

単に時間を稼ぐために例会はあるのではないが、まず最初に例会が果たす役割は、こうした一見単純そうなことである。しかし、この役割はもっとも重要なもので、入会直後の例会出席の多少が断酒の成否の鍵になっている。

例会の中には、信じられないような大切なものがぎっしり詰っている。まず、同じ悩みを持つ人たちが集まっているので、今まで出会うことのなかった、自分の悩みを正確に理解してくれる仲間にめぐり逢える。

しかし、入会当初は不安と緊張で硬くなっているので、そうした重要なことに気づかない。逆に、「しゃべらされるから例会に出たくない」という人が意外に多い。

「何をしゃべってよいのかわからない」と、「何かしゃべると笑われそうでいやだ」の二つが、新入会員を無口で臆病にする。長い期間孤立し、酒に自らの主体性を奪われた生活をしていた人間が、久し振りに大勢の人間の中に出るのだから無理のないことである。

だが、いくらしゃべりたくなくても、住所と氏名くらいなら誰にでもいえると思う。名前をいえるようになると、その後に「頑張ります」とか「何とか我慢しています」とつけ加えることができるようになり、やがて、「〇〇町の〇〇です。何とか頑張っています。今後ともよろしく」となる。初めのうちはそれで充分である。

いつ、どんな場合でも、未知の者同士に新しい人間関係がつくられるときには、必ず言葉が交わされる。何かをしゃべるからこそ、人と人との関わり合いが生まれる。ほんの二、三秒の言葉が断酒への意思表示になり、他の人たちに心を開いたことにもなる。

会員たちはこの短い発表にすぐ反応して、「〇〇さん、本当によかったですね、いっしょに頑張りましょう」と話しかけてくる。ほんのちょっぴりしゃべったことで人間関係は一歩前進し、暖かい対話も生まれてくる。

初めて断酒例会に出た人たちは、酔っぱらっていない限り口数が非常に少ないか、まったく沈黙を守っている人が多く、警戒的でもある。断酒会はある意味では命よりも大切な酒をとり上げる会であるから、たとえ断酒するために入会しても、警戒的にならざるを得ないだろう。

しかし、 勇気を振るって、何でもよいから一言しゃべろう。飲みたければ 飲みたいといおう。自信がなければないといおう。誰も馬鹿にしたりはしないし、非難もしない。本当の気持を述べることが一番大切であり、そこから初めて断酒への道が拓(ひら)けるのである。

断酒会は、酒を断って新しい自分を創(つく)っていく会であるが、酒を断った直後には、新しい物の考え方はなかなか生まれてこない。従来通りの生活の中で、ただ酒だけは飲んでいないという形をつくるので、いろいろな混乱が起こる。ときには、酒をやめていることの意味すらわからなくなる。

われわれはずい分長い間、何を考えるにしても、何をやろうとしても、その前にまず一杯であった。つまり、酒がからだの中に入っていないと何もできなかった。それが、一滴のアルコールも入っていない状態で物を考え、何かをやろうとするので混乱があるのは当り前のことである。

混乱を防ぐには主体性のある新しい発想が定着しなければならず、それを自分のものにするために、どうしても例会に出席する必要がある。例会で人の話をじっくり聞き、聞いたことを自分なりに判断して、今度は自分が話そう。

かなり精神が不安定な状態で自己表現するので、最初のうちは不思議な話もするし、見当違いなこともいう。ときには、ひどく人を傷つけることさえいうことがある。しかし、誰もそうした発表を批判することはない。誰もがたどってきた道なのである。だから、どんなに自信のないことでも、迷わずに事実通り話せばよい。

過去の酒害体験を話すことは非常に重要なことだが、恥ずかしくていえなければ無理にいわなくてもよい。断酒の日が重なると、いずれ自分からいうようになる。それが話せないと、断酒も続かないことがわかるようになるからである。

「語るは最高の治療」という言葉が断酒会にあるが、人の話を素直に聞き、 事実を事実通り話すという前提があって、初めて生きた言葉になる。ただひたすら自分を卒直に語り続けることで、われわれは同じ酒害者であり、同じ人間であることを確認し、信頼できる仲間であるからこそいっしょに断酒が継続されているのである。

生きている限り断酒例会に出席し、何十年断酒が継続されていても、自分を卒直に語るということは何の変わるところがない。

三 酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認める また、仲間たちの話を謙虚に聞き自己洞察を深める

 

惨めだった過去は思い出したくない。誤った生き方を続けたことも認めたくない。そうした傾向は人間なら誰にでもあることだが、われわれの断酒を継続させるためには、そうした事実を素直に認めることが欠かせない。

病気のせいだとはいえ酒に振り廻わされて、自分でもいやになるような行為をくり返した。自己中心的な物の考え方が強くなり、自分の間違いを棚上げして人を理由もなく攻撃し、傷つけた。ときには、暴力すら振るったこともある。

酔いが醒めれば後悔し、もう二度と同じ過ちは犯さないと心に誓いながら、酒を飲むと同じ結果になった。周囲の人たち、特に家族に与えた苦痛は計りしれない。

そうした酒害体験を思い浮かべることは、恥ずかしく、苦しく、恐ろしい。 しかし、逃げ出してはいけない。それどころか、記憶の薄れている部分や、 まるで記憶にない部分まで掘り起こす努力をし、当時の自分の姿をより明確に頭の中に再現する必要がある。

酒を断ったのだから、暗い過去のことは忘れ、明るい将来の展望のみ考えればよいと思うかもしれないが、そうした発想では断酒は継続されない。われわれと酒の関係をもっとも正確に教えてくれるのは、あの惨めな日々の自分の姿であり、酒によって歪(ゆが)められた自分の心であるからである。

断酒してある程度日数が経ち、自分を表現する力がついてきたら、積極的に過去の酒害体験を掘り起こし、機会あるごとに話そう。断酒例会の中で語られる様々な話の中で、過去の酒害の実態が何といっても柱になる。酒で病んでいた自分の心を詳しく知ることが、断酒継続へのエネルギー源になることは誰も否定できない。

こだわりは場合によってはよくないことだが、われわれが自分の酒害体験にこだわることは重要である。アルコール依存症から回復する鍵は、酒害の怖ろしさにこだわることである。酒害の怖ろしさが生々しければ生々しいほど、その対極にある幸せへの願望が強くなり、われわれは酒に手を出すことはない。

二度とあんな生活に戻りたくないと願うなら、その戻りたくない生活の本当の姿を忘れないことだ。真に平和を願う人たちが、戦争の悲惨さをいつまでも忘れまいとするのと同じである。

ところが、いくら掘り起こそうと努力しても、どうしても思い出せないことがある。しかも、その掘り起こせない部分が、記憶にある部分よりずっと大きく、より重要である。

われわれには、泥酔したときの記憶がまるでない。また、そんなに酔っぱらっていないときでも、記憶の大部分がすっぽ抜けていることがある。そうした記憶にない部分でわれわれは、自分の意思とはまるで関係のない非人間的な行動があったりする。

目覚めたとき、家族の鋭い非難の目に、いったい何をやったのだろうか、と不安になる。ときには、家族が逃げ出していないことすらある。そんなとき、われわれはその原因を知ろうとしなかった。怖ろしいからである。

自分の記憶にある部分は、まだ多少正気があってやったことなので大したことはないが、記憶にない部分には病気の極端な症状が出ている。酒と自分の関係がどんなにひどいものであるのかが証明されている。だから、その記憶にないものまで知ることが、自分の病気の本質を知り、酒を断っていく上でもっとも重要なものになる。

それを知っているのは家族である。特に配偶者が一番正確に憶えている。 そして、酒をやめさせるために、あるいは、単に責めるだけのためにすべてを話した。

だが、われわれはそれを認めなかった。酔いが去り正気に戻ったとき、とてもそんなことは信じられなかった。動機がないということだけで、徹底的に否認した。 作り話で攻撃されているとすら思った。 そうした話を認めると、自分の人間としての価値が失われるからである。

酒を断ってからも、家族の証言がなかなか認められない。しかし、家族は嘘をついているのではない。勇気を出して、事実は事実として受け入れよう。 自分の犯した過ちは、本当に過去を反省しているのなら認められるはずである。

酒害体験の中でもっとも大切なものは、様々な問題行動よりも、その中に隠されている酒によって歪められた発想や、人間らしさを欠き始めた心の方である。従って、例会で語る酒害体験は、酔っぱらってやった無惨な行動を詳細に話すことも大切だが、そのときの自分の心の動きを話すことの方がもっと大切である。

記憶にないことでも話すことは可能である。配偶者の証言や、仲間たちの体験発表に神経を集中していると、ほとんど全部の状況を追体験することができる。最初のうちは事実と少し食い違うかもしれないが、それを何度も話しているうちに記憶が戻り、やがて自分の実像に迫ることができる。

そのとき何を考えていたのか、どんなに悩み、どんなに苦しんだのかも追体験できる。また、どんなに卑怯で、どんなに浅ましいことを考えていたのかも思い浮かべることができる。ずっと以前の自分の心理が、つい昨日のことのように蘇ってくる。われわれは、記憶のかけらもない実体験を追体験するという、酒害者ならではの珍しいことをやるのである。

われわれは酒に依存する生活を続けた結果、主体性を欠く人間に変えられた。自分の人生をどう生きるのか、現在抱えている問題をどう解決するのかという大切なことを考える力を失くした。自分を洞察する力などどこかにふっ飛んでしまった。

若年(じゃくねん)でアルコール依存症になった人は、人格の形成に一番大切な時期にその成長が止まった。止まっただけでなく、わがままで稚拙な幼児のような状態にまで退行した人もいる。自我の確立ができ、自分なりの生き方ができていた人も、酒害のためにそれを失った。アルコール依存症を視点を変えて考えると、自己洞察力の喪失の病気であり、自我の喪失の病気だといえる。

それから回復するためには、やはり、自分をじっくり見つめ、自分をよく知ることが不可欠なものになる。自己洞察力を養い、自我を奪回(だっかい)することによって、われわれの断酒は正しい方向で継続されるのである。自己洞察力とは、直観やすぐれた観察力で自分を見抜く力をいう。

そのためには、仲間たちの体験に自分を重ねて考える必要がある。自分が失っているものをとり戻したり、持っていないものを新しくつくるためにはそれを持っている人や、持ち始めた人の話がヒントになる。

ところが最初のうちは、仲間たちの話を素直に聞くことがなかなかできない。われわれは酒のため生活空間を狭くし、自分の殻の中に閉じこもった生活が長かったため、自己中心的な考え方しかできなくなっていたのである。

そのためわれわれは断酒初期、酒は見事に断っていても、自分の考え方をかたくなに守る姿勢から抜け出せない。仲間たちの話に反発したり、否定したりする傾向が強いのはそのせいであろう。

素直になれなくてもよいから、とにかく仲間たちの話に耳を傾けよう。自分の考え方と相反(あいはん)することでも熱心に聞こう。自分が非難されているような気がすることがあるが、そうした被害意識はすぐ消える。やがて逆に学びとろうとするようになる。仲間たちは自分と共通した悩みを持ち、そこから抜け出してきたことがわかるからである。

素直に聞けるようになると自己批判ができるようになり、だんだん謙虚になれる。謙虚になれることによって自分の本当の姿が見えてくる。過去の様々な過ちが卒直に認められ、洞察力が養われてくる。仲間たちは自分の本当の姿を映し出す鏡なのである。そして、ここから自己改革への道が拓(ひら)けるのである。

人によっては、尊敬できる一人の先輩会員に密着して、彼の持つすぐれたものを学びとろうとするが、これは知恵のあるやり方であるとともに、その先輩会員の影響から離れられなくなる危険がある。やはり一番正しいやり方は、例会の中で、日常の関わりの中で、すべての会員から学びとる方法であろう。

四 お互いの人格の触れ合い、心の結びつきが断酒を可能にすることを認め、仲間たちとの信頼を深める

一人では酒をやめられないことを認めて断酒会に入会した。例会に出席して、過去の酒害体験を赤裸々に話した。現在持っている悩みも卒直に語った。 これからの人間としての在り方についても話した。しかし、断酒生活を永続させるためには、それだけでは充分ではない。

同じ悩みを持つ者同士がそれぞれの心を通わせ合い、お互いの人格が触れ合わなければ、いくら大勢の酒害者が集まって体験を語り合ったとしても、その中から収獲するものは少なく断酒そのものまで行き詰ってしまう可能性がある。

元々断酒会は、酒害者同士の信頼関係があって初めて成立した組織である。 そうした人間関係にすべての会員が無関心になれば、断酒会はいっきに崩壊してしまうだろう。われわれ酒害者同士に一体感が欠けたとき、断酒も、断酒会も消失することを忘れてはなるまい。

昭和三十三年秋、完全自立を目指す断酒自助集団が高知で発足(ほっそく)したときは、会員はわずか二名であった。ひとりで一年半酒を断っていた元政治家と、まだ酒が切れていない二十八歳の青年であった。

青年は何も考えず、元政治家をひたすら信じてついていった。元政治家は、どんなに努力しても失敗してしまう青年を、誠意と根気と信頼感でやっと断酒に成功させ、自らは酒害相談のノウハウを学ぶことができた。

やがて元国鉄助役が入会し、「やっとたどり着いた。やっと自分のいる場所を見つけた」と、感動で声を震わせた。次いで、ひとりで五年も酒を断っていた老人が入会し、「酒を飲まない仲間ができて本当によかった」と、ほっとしたように笑った。

彼ら四人は、お互いが酒害者であるということだけで、それぞれを何の迷いもなく受け入れた。すぐに一体感が生まれ、全国組織づくりの基礎をつくった。酒害者同士の信頼関係があって初めて成立した組織である、と敢(あえ)ていう 理由がこれである。

酒に溺れ、孤独な生活を続けているうちに生まれた、自己中心的な考え方から脱出するのには時間がかかる。自分のことを素直に話せるようになっても、人の考え方をすんなりと認めるには抵抗がある。自分の考え方に固執しない人はよいが、そうでない人は相手の考え方を軽視したり、否定したりする。それが原因でやがて意見の対立が始まり、感情のもつれにもなる。ついには、人間関係を損(そこな)う不信感にまで発展することがある。

不信感が生まれると例会に溶け込めなくなり、積極的に出席していた姿勢が崩れる。そのうち、現在断酒できているという実績だけを心の拠(よ)りどころにして、例会に出ないようになる。面白くない場所には出たくない、考え方の違う人たちとは話し合いたくないというのが、人間の持つ一般的な傾向である。

われわれは、断酒という目的はひとつであっても、異なった様々な視点を持っている。性格や生活環境の違い、あるいは、今まで生きてきた人生の捉(とら)え方まで違う。それぞれの価値観を持っているのだ。だから、自分の考え方だけが正しいという発想を捨て、お互いの価値観の差を知り、それを受け入れる努力をしよう。

われわれの断酒が継続され、人格の向上がたゆみなく続いている要因のひとつの柱に、酒害者同士の濃密な仲間意識がある。常に助け合い励まし合う友愛を、傷つけない裏切らない友情を、社会一般の人たちよりずっと重視しているところにある。そうした強い信頼関係をつくるためには、仲間たちの断酒論を理解することより、人間そのものを深く理解する方が重要である。

より深く理解しようと努力する過程でお互いの人格の触れ合いがあり、心と心の結びつきが始まる。ついには、何でも話せ、何でもわかり合える関係にまでなれる。

いまだに偏見、誤解の目で見られているアルコール依存症という病気の実体を、正確に理解しているのはわれわれ当事者と、家族を含めた一部の人たちでしかないことを考えると、われわれ仲間同士の心と心がしっかりと結びつくことは、ごく自然なことでもある。

断酒会には信頼関係があるからこそ、自分の欠点をさらけ出しても軽蔑されることはない。逆に、その卒直さが評価される。事実と本音を常に話すことで信頼関係はますます強くなり、やがて強い絆となる。そしてその絆の強さが、断酒継続の強力な武器となる。

しかし、よくよく考えると、努力して仲間たちとの信頼関係をつくったずっと以前から、われわれは仲間たちを信じ、断酒会を信じていた。断酒会に入会したとき、仲間たちは今まで関わってきたどんな人たちよりも、われわれのことを理解してくれた。こうした人たちがいるからこそ断酒会は信じられる、と思った。

つまり、信じるということが、われわれには最初からあったのである。だから、初心に還(かえ)りさえすれば、どんなに物の考え方に差があったとしても、 信頼関係をつくれないはずはないのである。

われわれは飲酒時代、あらゆる信頼関係を失くしていた。周囲の人たちは勿論、家族の間にもなくなっていた。また、人を信じなくなっていた。人に信じられないようになっていたからである。信頼関係は人と人との間にあるものであるから、どちらか一方が信じていなければ成立しないものであるが、われわれの場合は両者がそうであった。

断酒が継続されるようになって、自分や人を信じられるようになり、周囲の人たちからも信じられるようになった。前者との差は歴然としている。

信頼のない人生は空(うつ)ろであり、ある人生は充(み)ちている。「断酒幸福」という言葉は、信頼関係の復活そのものを指(さ)すといっても過言ではないのである。

五 自分を改革する努力をし、新しい人生を創る

「断酒」とは酒を飲まないことだけで充分だ、と考えるのは、断酒初期であれば別にとやかくいわれるものではない。

激しい飲酒欲求に襲われたとき、早く自分を変えたらよかったのに、自己改革が進んでいたら飲みたい気なんか起こりはしなかったのに、などとはまず考えない。頭の中にあるのは酒だけであるからである。

断酒例会の始まる時間まで何とか我慢するか、できそうにもないと思えば仲間に連絡をとればよい。初めて断酒に挑戦したときは、誰でもそんなものである。

酒を飲まないための段取りもしないで、受け売りの断酒理論にこだわってあれこれと考えていると、逆に酒に走る可能性が強い。断酒経験が浅いときは、経験豊かな仲間が実践活動を通して構築した、それぞれの理論や自己改革法は現実味に乏(とぼ)しいので、危機を防ぐことには結びつかない。

だが、いつまでも酒さえ飲まなければよいのだと単純に考えていると、結局、その飲まないはずの酒を飲んでしまうことになる。本物の断酒とは、コップの中の酒を口に入れるか入れないかという、単に物理的な動作を指すものではないからである。

われわれは例会に出席して、自分の本当の姿を捜し始めた。仲間たちとの対話と信頼関係を通して、自分がだんだん見えてきた。しかし、仲間たちとの友情がいくら深まっても、自分の本質に迫(せま)ることができていても、自分を変える努力を始めなければ、アルコール依存症という病気からの回復はないのである。

われわれは、アルコール依存症という酒を飲まずにはいられない病気になったが、そうした状態になるまでの生活体験の中で、心にゆがみやひずみを持つようになった。将来の展望も開けず、焦(あせ)りと無気力が交互に訪れるような状態では当り前のことかもしれない。

幼児のようにわがままで、社会性がまるでなくなっている人もいる。他罰的、攻撃的で、自分だけが正しいと思っている人もいる。現実を直視する勇気がなく、現実と幻想の入り混じった世界でぼんやり暮らしている人すらいる。家族がいてもいなくても、孤独な生活を続けることで視野が挟くなり、 自分以外のものに目を向けなくなるのが一般的である。

であるので、アルコール依存症がからだの病気だけでないことを理解し、個人差はあるにせよ、それぞれが心の健康を欠いていたことを認めよう。また、酒を断ってもこうした傾向は急に改善されず、この健全とはいえない心が原因になって再飲酒する危険がある。

われわれにとって本物の回復とは酒を飲んでいないことだけでなく、長い飲酒時代に身についた、様々な欠点を治し続けなければ得られないものである。言葉を換えれば、これまでのあらゆる価値を転換することである。

自分の欠点を捜すことはそんなに難しいものではない。自分を変えなければならないと考えるだけで、自分の持っているいろいろな欠点が浮かび上がってくる。例会を通してすでに、それとなく気にしていたからである。今まで 気になりながら認めたくなかったことを、素直に認めるということである。

それさえできれば、自分自身のこれまでと、これからの生き方に問題意識が持てるようになり、われわれの回復は生きている限り続く。そしてある時点から、社会一般の人たちよりずっと洞察力が深まり、それを足がかりにしてあらゆる改善が進み、より豊かな人間性を持つようになる。

普通の病気が回復するということは、元の健康なからだになったときすべてが終る。しかし、アルコール依存症は一生かけて治さなくてはならない病気であり、からだだけでなく心の病んだ部分を治し、その上、人間としての成長が死ぬまで続く。

普通の病気が治って元通りになる状態をゼロと考えると、酒害者がアルコー ル依存症から回復する場合は、ゼロを通り越してプラス一にもプラス五にもなるということである。周囲の人たちに与えた苦痛を除いて考えれば、あるいは、恵まれた病気といえるかもしれないのである。 

自己改革をすすめるために、自分自身を肯定(こうてい)的に捉えよう。酒に溺(おぼ)れ切った生き方そのものを否定しても、自分の人間性まで否定しないでほしい。自分が元々駄目な人間であり、そのせいで酒害者になったと考える人には、自分を改革する余地がないのである。

自分が酔っぱらってやった非人間的な行動は許せなくても、自分という人間そのものは許そう。自分を責めてばかりいる人は、自分のあら探しはできても、自己改革のためのエネルギーを持つことができないのである。

断酒会発足(ほっそく)当時は、「断酒互助会」、「断酒友の会」、「断酒新生会」等の名称が多い。これらの名称は、それぞれの組織がもっとも重視していたテーマをつけている。

「互助会」は、お互いが助け合い、励まし合うことを一番大切に考え、「友の会」は、同じように仲間同士の信頼関係に重点を置き、「新生会」は、断酒して新しい人生を創造するという、全断連の基本理念をそのまま会名としている。

断酒して元の人間らしい人間に立返り、昔の幸せな生活を取戻すのだ、と考えるのは悪いことではないが、もう一歩進んで、生まれ変った気でまったく新しい生き方を創るのだ、と考える方が、より積極的にこれからの人生に取組むことができ、また、もっと意味の深い生き方ではないだろうか。各地域断酒会で、「ゼロからの出発」という言葉がよく使われているが、それがわれわれには一番正しい選択ではないだろうか。

また特に、人格形成の一番大切な青年期に酒害者になった人にとって、元の状態に戻るということは、まるで未熟な自分に戻ることでしかない。それよりは、断酒することによって新しい自分を創る作業を始めるのだと考える方が、もっと意味があるのではないだろうか。

人生のまだスタート地点にいる青年酒害者が、自らの創造性を発揮して豊かな人生づくりに挑戦する。そこには暗いイメージのかけらもなく、苦痛を乗り越えてきた人のみが持つ力強さがある。断酒会を人生の落伍者集団としか見ていない人たちの目を、彼らがきっと覚ましてくれるだろう。

壮年期に酒害者になった人は、挫折の体験がそれなりに豊富である。飲酒時代は挫折する度にやけ酒になったが、断酒した今となっては、その挫折の原因が自分の性格、能力等を知る上で重要なポイントになる。新しい自分を創るためにはどんな方向転換が必要なのかが、その挫折体験の中にぎっしり詰まっている。新しい選択をするのには消極的な年代だが、断酒会員は一般の同世代とは違うことを広く知らせてほしい。

長い人生を立派に生きてきて、老令になって酒害者になった人にとっても、同様のことがいえるのではないだろうか。青年期、壮年期のすばらしかった自分を取戻そうとしても、時間は戻らないし、自分を取巻く状況はすべて変っている。過去の夢を追うよりは老いを素直に受け入れ、これからすばらしい老後を創ろう、と考える方が自然ではないだろうか。また、そう考えることですばらしかった過去の自分が、自然に蘇(よみがえ)ってくるのではないだろうか。

アルコール依存症という病気は、創造性の喪失の病気と言い換えることができる。われわれは過去、惰性だけで人生を生きてきたような気がしないでもない。だから、この病気から回復するためには、今まで持ち続けてきたすべての価値の転換を計ることが重要であり、それを行動に移すことではないだろうか。

「断酒新生」、これは永遠に変わることのないわれわれの最重要課題である。

六 家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをする

酒を飲まないのが最大の償(つぐな)いである、と考える人は多い。確かに、酒が直接原因で家族や周囲の人々が受けた苦痛は、われわれの想像をはるかに超える。従って、われわれが酒を断つことで家族の苦しみは半減し、幸せな生活を徐々に取戻す。

なぜ苦しみが半分残り、幸せが徐々にしか取戻せないだろうか。それは、酒を飲まないことだけで償いが終わるものではないから、すべてが一挙に解決しないということである。

酒を断ってすぐに、迷惑をかけた人たちに何とか償いたいと考える人は少ない。酒を飲まないことだけに集中して、周囲の人たちに対する配慮に欠けるのは無理のないことである。しかし、断酒が継続される過程で、過去の自分の所業に罪の意識を持ち、何とか償わねばならないと考えることは、人間なら当然のことである。

しかし、アルコール依存症は病気であるので、病んだ心が原因で行った様々な行為に、罪の意識が強すぎることは危険である。そんな自分を許せないと考えて自分を責め続ける人は、決して家族の望む償いをすることができない。 自分本来の人間性を肯定し、病んだ自分の心を許すやさしさがなければ、人を幸せにすることなどできるはずがないのである。

といって、まるで罪の意識のないことは非常に危険である。すべてを酒のせいにして、自分を見つめる努力をしない人は、自分を責める代わりに断酒したことを過大評価し、やたらと誇大性(こだいせい)が強くなってしまう。酒と闘って勝利を収めた英雄だと思っている。贖罪(しょくざい)意識の代わりに上昇意識がやたらに強く、断酒会の中で目立つことばかり考えたりするようになる。

われわれは酒に支配された生活を続けた結果、自己否定の傾向が強くなった。酒をやめられないと信じていたからである。そんな中で、自分を責めることだけが安らぎになっていた。酒はやめられないが、自分を責めてさえいれば、あるいは家族に許してもらえる、と考えていた。自己否定、自責等は、 酒を飲んでいた頃のわれわれの特徴であるので、それらから脱却し、それでいて贖罪意識を持つ必要があるのである。

飲酒時代の手前勝手な考え方が妻子に与えた傷は深い。断酒が継続され、精神的にも安定が得られたら、妻子の心の傷を癒(い)やすのにはどんな対応が必要なのかを考え、努力することが、われわれの償いの中でもっとも大切なものである。

卒直に詫びることが大切である。妻子の望むことを、できる限りしてやることも大切である。それをするためには、妻子の痛みを自分のものにしようとする気持が大切である。それが最高の償いである。

また、ときには、われわれより家族の回復がずっと遅れている場合がある。 「アルコール依存症は家族ぐるみの病気である」という言葉通り、われわれの酒のため家族が病んでいることがある。われわれが酒を断って回復への道を順調に歩き出しても、家族によってはそれに歩調を合わすことができず、いろいろな問題を起こす。

断酒した夫をひたすら責め続け、実現不可能な苛酷な要求を突きつけたりする。平和な家庭づくりに励んでも、片っぱしから破壊したりする。しかし気長く対応して、回復を援助するのがわれわれの償いである。

傷が深すぎる夫婦の場合、両者がどんなに努力しても、愛情関係がなかなか復活されないことがある。長い年月をかけて徐々に深まった溝だけに、努力だけではそんなに早く埋め切れない。だが、償いの気持だけは持ち続けてほしい。時間をかければ愛は復活するだろうし、そうでない場合でも、両者の納得のいく結果が出るだろう。

一家がすでに離散してしまった人もいる。償う相手がいないと思うかもしれないが、そうではない。償えなくても償う気持だけは捨てないぞと考え、 それなりの行動を起こすことで自らが浄められる。酒害相談に積極的に取組むことがそれである。

断酒会の創世期に、松村春繁(全断連初代会長)が病軀(びょうく)に鞭(むち)打って全国行脚(あんぎゃ)したのも、第一世代の断酒会員たちが、断酒会結成のためすべてをなげうって各地を奔走(ほんそう)したのも、償いの心を潜(ひそ)めていたと考えられる。

家族以外の人たちに対する償いも必要不可欠である。詫びるだけでなく、 経済的に迷惑をかけていたら具体的な形で償うべきである。借りた物や金は、早急に弁償することが大切である。現在それが不可能なら、近い将来弁償すればよい。物事のけじめをつけられなかった飲酒時代を考えると、これは自分が回復するためには欠かせないことである。

もっと広い視野で考えると、社会に対してかけた迷惑の償いに、その社会に積極的に貢献することである。自ら治療を受けている人たちは勿論、地域で酒害に悩んでいる人たちを支援することである。もっともっと広く考えると、酒害者を新しくつくらないための、酒害啓発活動がある。

七 断酒の歓びを酒害に悩む人たちに伝える

われわれは酒の奴隷となり、どう考えても人間らしさを欠いた生活をしているのに、酒をやめる必要はないと思っていた。アルコール依存症には元来、社会に適応できない人間がなるものという偏見を自分の内部に持っており、自分の酒を否定することは、自分の人格を否定することでもあった。

ところが、病気の進行と自分を取巻く状況の悪化や、自分の心の中に芽生えてきたどん底感によって、やがて、酒をやめたいと願うようになった。だがもう一方では、やめられるはずがないという考えも合わせて持っていた。 ときには酒は、自分の命よりも大切なものであったため、断酒は実現不可能なものとあきらめていた。

その不可能だと思っていたことが、断酒会にめぐり逢い、断酒例会を通しての家族の理解の深まりや愛の復活と、仲間たちとの信頼関係と暖かい援護(えんご)によって、可能であることが実証された。

われわれはどん底から這い上がり、本当の自分を取戻すことができた。断酒会は奇跡をもたらしてくれた、と感激した。久しく忘れていた充足感と歓びのうちに、中味の濃い毎日を送っている。これから解決していかねばならない問題も多くあるが、それを乗り切るだけの知恵も行動力も自分のものにしつつある。われわれの将来への展望は明るい。

断酒を可能にしただけでなく、自分を愛し、家族を愛し、それを人間愛まで高めることができた。そのきっかけをつくってくれたのは、同じ酒害者である断酒会員である。彼らの誠意溢(あふ)れる幸せへの情報伝達によって、現在の自分があることを考えれば、同じことを酒で悩んでいる人やその家族にしようとごく自然に思いつくはずである。

思いついたことはすぐ実行に移そう。そして、いつまでも続けよう。ところが、この人間愛に充ちた奉仕活動を簡単に中断する人がいる。理由は、自分なりに頑張ったが、どうしてもわかってもらえない。わたしは酒害相談に向いていないんだ、が圧倒的に多い。本当にそうだろうか。

自分の入会直前の状態を思い出してもらいたい。われわれを訪(おとづ)れてくれた断酒会員によっては、言っていることがよくわからないことがあった。同じ酒害者であるといっても、相談を受ける側が現在の幸せな状態ばかりを説明していては、両者の断酒に対する発想に差がありすぎるので、そう簡単には理解できない。

酒害相談で一番大切なことは、自分の入会前の最悪の状態を頭の中に再現し、それをありのまま話し、どんなひどい酒害者でも断酒できるという事実を伝えることである。断酒などとてもできそうにないと考えている人を説得するには、自分が彼らからすぐ手の届くような存在でなくてはならないのである。

また、自分で磨(みが)き上げた断酒理論による説得は、相手を追いつめ、反感を買うだけである。ときには、やっと芽生えかけた断酒への意欲を潰(つぶ)しかねない。ほとんどしゃべらないで側(そば)に坐(すわ)っていただけで、相手に断酒を決断させた人もいるのである。要は、自分にも相手にも誠実でありさえすれば洞察力が働き、相手に最適の話ができる。そして、意外にすんなりと納得してもらえることが多いのである。

われわれは酒浸りの生活の中で、自己中心性と受動性を身につけてしまった。わがままで自己主張が強いくせに、あらゆる面で家族や友人に頼って生きてきた。酒以外のことにほとんど関心がなくなり、やがて、飲むことだけを考えてぼんやり生きるようになった。これほど消極的な人生を生きている人間は珍しい。

アルコール依存症から回復するということは、酒を飲まないことだけでなく、そうした自己中心性、受動性を変えることでもある。そのためには、酒害相談を積極的に行うことが最善の方法になる。自分の現在の幸せを酒害で悩んでいる人たちに頒(わか)つことで、自己中心性からの脱却があり、自分も愛せなかった人間が人を愛するようになる。たとえ一人の酒害者でも断酒に結びつける手伝いができれば、自分の断酒の歓びは倍加し、積極性が蘇る。

酒害相談というわれわれの奉仕活動は、社会一般の奉仕活動とはかなり差がある。無償で社会や他人のために尽す行為であることには違いはないが、よくよく考えると、金品には代えられない大きな収獲がある。

酒で苦しんでいる人やその家族に接することで、ともすれば薄れがちになる自分の酒害の記憶を生々しく思い出し、自分のやるべきことが再確認できる。 酒害者と酒害者の連帯、人間と人間の触れ合い、自分自身の在り方、その他、様々な断酒の糧(かて)となるものが、彼らとの関わりの中にある。奉仕という言葉が適当でないほど自分自身のためになっている。だから、もっと積極的に、もっと純粋に酒害相談活動に取組むべきではないだろうか。

断酒会員である限り、いつまでも酒害相談を続けよう。そうすることによって、常に愛と感動を自分のものにできる。

断酒会規範

一 断酒会は酒害者による酒害者のための自助集団である と同時に市民活動団体である

断酒会は、自らの意思によって酒を断とうとする酒害者が連帯してつくった組織である。

断酒会は、酒が原因でつくられた様々な問題をお互いの信頼関係を通して解決し、新しい人生を創ろうとする酒害者の組織である。

断酒会は、平等な立場で参加した酒害者の主体性によって運営される組織である。

また、酒害者の真の理解者は酒害者であるので、断酒会は自らの断酒のみならず、酒で苦しんでいる地域の酒害者のために何をすべきかを常に考え、積極的に援助活動をする組織である。

従って、断酒会は酒害者のみによって構成され、あらゆる面での自立を重視する自助集団である。自助とは自らの努力で自らを救うことであり、自助集団とはそうした人たちが集まり、それぞれの力を結集して、より大きな力を生み出す組織のことである。

その大きな力を生み出す原動力は、何といってもわれわれ酒害者同士の一体感である。共通の悩みを持ち、断酒新生という共通の目的を持つわれわれは、お互いが酒害者であるがゆえに融合し、ひとつの大きな力となった。ア ルコール依存症は不治の病であるという社会の偏見をくつがえし、現在、数万の酒害者がひたすら回復の道を歩んでいる。

われわれはそのひとつになった大きな力を断酒会と呼び、断酒会があるからこそ個人の断酒があるという、共通した認識を持つようになった。断酒会をひとつの物質にたとえると、われわれはその物質を構成しているひとつひとつの分子であるということである。

わが国では明治初年より数多くの断酒グループが誕生している。しかし、宗教団体や禁酒組織の中の一部門として生まれたものが多く、上部組織の指導や庇護(ひご)を受けていた。

酒を飲まない禁酒主義者が、酒の乱用を続けた酒害者に酒の怖ろしさを教え、社会から酒を追放することの重要性を説いた。酒害者は自らが抱えている問題を放棄して、酒があるのが悪いのだと考えるようになった。これは無責任きわまる問題のすり替えであって、酒害者は自分の内面を洞察する力を失った。やがて彼らは、短期間の禁酒の後、再び酒に走るようになった。

断酒グループの運営に必要な経費は、すべて禁酒主義者が賄(まかな)った。彼らにすれば暖かい援助のつもりであっただろうが、酒害者は自立心を養うことができなくなった。何のために、誰のために断酒するのかわからなくなり、再飲酒を始めた。酒害者による酒害者のための組織でなかったことが、長い歴史の中で消えて行く結果につながった。この事実は、酒害者の自立性、主体性の重要さを示している。

昭和三十年代から四十年代へかけて、アルコール依存症の治療に熱心な一部の精神科医たちの協力を得て、多くの断酒会が結成された。しかし、彼らは元来、非指示的な集団療法によっていたので、われわれに深い理解はあっても、指示的、支配的傾向はなく、酒害者による酒害者のための断酒会づくりの妨げにはならなかった。断酒会が現在でも、医療との協力関係を重視する理由である。

また断酒会は、飲酒文化の中に独自の断酒文化を創ろうとするいまだかつてない目的を持った組織であるので、ときには偏(かたよ)った傾向に走ったり、独善的になる危険も伴っている。従って、識者の客観的な提言を拒(こば)むものではない。酒害者による酒害者の組織であるので、組織のライン上に酒害者以外を入れることはできないが、彼らを顧問、相談役等のスタッフに加えることは 原則を侵(おか)すものではない。

断酒会は酒害者の組織であるので、回復の程度によって様々な差が生じる。 従って、組織の原則に触れる言動のある会員がいたとしても、彼らを非難したり、罰したりしないこともひとつの原則としている。

断酒会は自らを酒害者だと認めた人の組織であるが、認めていない人の入会も歓迎される。現在認めていないだけで、やがて認めるからである。

断酒会は断酒の意思のない酒害者の入会を受け入れる。断酒意思が潜在していたり、入会後、それを持つようになるケースが多いからである。

指示的、支配的傾向の強い会員でも非難しない。ただし、助言はする。そうした傾向が長く続くと仲間たちの調和を破り、脱落する可能性が強いからである。

自らの断酒のみにこだわって、安定期に入っても酒害相談活動をしない会員には助言する。同じ酒害者であるという認識がなければ、あるいは、苦しんでいる酒害者を支援するというやさしさがなければ、われわれの断酒は行き詰まり、失敗につながる怖れがあるからである。

われわれ酒害者が酒害者のために行動するのは、何も地域で苦しんでいる酒害者だけが対象ではない。入会しても断酒ができない会員、断酒ができていても人間性の回復が遅れていて様々なトラブルを起こす会員、そうした人たちを援助し、助言することも、われわれの大切な役目である。

最後に家族について触れる。

われわれは過去、家族を単に協力者としての視点でしか見ていなかった。 献身的な協力を求めることだけで、家族が追いつめられ、苦しんでいることに気づかなかった。やがて、アルコール依存症は家族ぐるみの病気であり、家族も酒害者であり、それから回復する必要があるという認識を持つようになった。酒を飲まない家族でも夫の酒に巻き込まれ、程度の差こそあれ心を病んだ状態の人は意外に多い。

従って、断酒会は家族を酒害者と見なし、組織の一員と考えるようになった。しかし、アルコール依存症そのものではなく、回復の過程もわれわれとはかなりの差があるので、準会員として組織の一員に加えられている。

そのため、会費等の徴収はなく、また、組織の役員としてライン上に並ぶことはない。例会にはわれわれと同じように出席し、同じように体験を語っているが、一方では、家族会、婦人部等の別組織をつくって、われわれの病気の理解と協力に関する意見交換だけでなく、それぞれの酒害からの回復を目指している。

家族も酒害者であるという認識をもっと深めて、彼らの回復のためにわれわれは何ができるのかということを、真剣に考えるべきである。

二 断酒会には酒をやめたい人なら誰でも入会できる

断酒会入会の条件は、酒をやめたいという願望を持っているだけで充分である。

どんな政治思想や信仰を持っていても、断酒会入会の障害にはならない。 しかし、断酒会は酒害者が酒をやめる会であるので、断酒会の中で選挙活動や、布教活動はできない。

社会的地位や名声のある人、経済的に恵まれた人と、どん底の生活をしている人との間には何の差別もない。

断酒会のモットーは自由平等である。どんな高い地位にいる人でも、ひとりの酒害者であることには変わりはない。そうした認識がなく優越感を持っている人は、すぐ改めてほしい。優越感は、自分の断酒の足を引っぱるだけである。

どん底の貧しい生活をしていても恥じることはない。酒害者が酒を断つ努力の過程では、その真摯(しんし)な姿勢が評価されるだけである。自分を卑下することは断酒の壁になるので捨ててほしい。

心身の障害があっても、酒害者でありさえすれば歓迎される。二重、三重の苦痛を越えて努力する姿には、われわれを感動させるものがあるからである。

過去にどんなあやまちを犯していても、入会の条件に触れるものではなく、 また問われもしない。逆に、泥沼(どろぬま)から這い上がろうとする勇気にわれわれは敬意を表する。酒害者なら誰でも入会できるのが断酒会である。

また断酒会は、こうした無条件に近い条件で入会を認めるので、あらゆる環境、あらゆるタイプの人間が集まった。そして、まじめに生きようとする 人間と人間の間には、何の差も元々ないことがわかった。自由平等は原則にとどまらず、現実であることを実証した。

三 断酒会員は姓名を名乗ることを原則とする

われわれが断酒会員であることを名乗る最大の理由は、それが自分の断酒にとって有利であることに外ならない。

われわれは、自分がアルコール依存症になっていることをやっと認めた。 断酒会に入会することで、アルコール依存症が恥ずかしい病気でないことも知った。そして、原則通り自分の名前を名乗っているが、断酒会内部にのみとどめている人が意外に多い。

恥ずかしい病気ではないと思いながら、社会のこの病気に対する誤解が怖ろしいことと、まだまだ自分の内部にこの病気に対する否定的な気持が潜在しているからであろう。姓名を名乗るという断酒会の原則は、誰にでもこの事実を率直に告げるということであるので、勇気を出して断酒の意思表示を広く社会にしよう。

そうすることで、われわれの意識の中にずっと持ち続けていた劣等感が徐々に薄れ、断酒意欲の向上にもつながる。また、社会一般の人たちにとっても、明るく堂々と姓名を名乗っている断酒会員に接することで、従来の間違った認識に疑いを持つようにもなる。

また、社会に意思表示したことでわれわれは、自分の言ったことに責任を持つようになり、自分の断酒姿勢をますます正すことになる。虚栄心の強い人は、そうした断酒の妨げになるものを捨てることができる。

酒に悩んでいる地域の人たちに断酒の歓びを伝えることが、われわれの責任であり使命でもあるが、こうしたことも姓名を名乗らないことにはわれわれの存在を知ってもらえない。逆に考えると、匿名でないことが酒害相談を怠(なま)けられない原因になり、ますますこの活動に積極的になれる。

酒害相談活動や教宣活動を通して学んだことが、われわれの断酒の糧(かて)になっていることは誰にも否定できないが、そうした環境づくりのためにも、姓名を名乗ることは大きな役割を果たす。

またわが国では、酒は冠婚葬祭等の儀式には欠かせないものであり、また、人間関係を円滑(えんかつ)にするためあらゆる機会を捉(とら)えて酒席が設(もう)けられる。そして、そこに出席することが半ば義務化している。

われわれはそうした場所に出ることを極力避ける必要があるが、止むを得ず出席した場合、断酒会員であることを明確にしなければ、断り切れずに失敗することすらある。健康上の理由で断っても、少しぐらいならからだによい、と強要されるのが普通である。わが国の飲酒文化は、いかに上手に相手に酒をすすめるか、ということを重視しているからである。

そんなとき、断酒会員であることを告げ、断酒の意思をきちんと示せば、まず強要されることはない。自らを酒害者だと認めて断酒会に入会した人間に、その組織のルールを破ってまで飲めといえる人間はいないのである。

有言実行という言葉が断酒会ではよく使われる。自分の意思を具体的な言葉に変え、それを行動に移すことが、酒害者がアルコール依存症から回復するために大きな効果がある。その最初にあるものが姓名を名乗ることである。

姓名を名乗ることで断酒が不利になる場合は、匿名も許される。われわれにとって一番大切なことは断酒であり、それを永続きさせることであるからだ。

女性酒害者に対する社会の誤解、差別は、男性酒害者に比べると各段にひどい。「女だてらに、母親たるべき者が」という軽蔑の目で見られている。 深く理解しているはずの家族でも、そうした風潮に勝てない場合もある。

従って、当人が姓名を名乗る意思があっても、夫や子供に止められることがある。そうした反対を突き破ってまで名乗れない場合、外に向っての意思表示をしなくてもよい。意見対立で家族同士が不仲になると、断酒まで不利になるからである。名乗ってもよい時期がくるのを待てばよいのである。

男性会員でもアルコール依存症をまったく理解していない職場にいると、断酒会員であることを告げることで、様々な差別を受けることが稀(まれ)にある。 断酒している当人の姿勢によってはこの差別の壁は打ち破れるが、断酒初期にはそうした毅然(きぜん)とした態度をとれない人もいる。そのときがきたら意思表示をしてもらいたい。

アルコール依存症という病気に、自分自身の偏見が捨てられず、恥ずかしいという理由だけで匿名にこだわる会員もいるにはいる。その恥ずかしさを乗り越えられないことが、再飲酒を招くことにもなりかねない。

しかし、断酒会は自由で強制はないので、無理に名乗れとはいえない。断酒が継続されれば病気の認識も変わる。劣等感から早く脱(ぬ)けてほしいものである。

四 断酒会員としての活動は、原則として無償である

われわれの断酒活動は意外に費用がかかる。積極的に取組めば取組むほど金額がかさむ。日常的に開かれている断酒例会、全断連主催のブロック大会、 全国大会、加えて、各地で盛んに開催されている研修会、断酒学校、記念大会等に参加することによって、われわれには過去の飲酒代に匹敵する出費がある。

しかし、同じ出費であっても中味がまるで違う。一方はひたすらに破滅の道を辿(たど)るための経費であり、一方は新しい人生を生き抜くための経費である。 すべてが幸福の追求のために支出されているので、誰も惜しいとは思わない。 自前(じまえ)であるのは当然のことである。

酒害相談活動は意外に時間がかかる。相談者は、酒を飲み続けるか断つかの二者択一という簡単なことだとは決して思っていない。酒をやめたくてたまらない半面、飲みたくてたまらない欲求にも駆(か)られているので、そうした心の葛藤が整理されるのに要する説得の時間はぼう大なものになる。

また、酒害相談は夜間だけとは限らない。急を要する相談を受けた場合は昼間でも、自分の仕事を放棄して駆けつけることがある。酒害相談活動に積極的になると収入が減るというのは事実である。しかし、どんなに時間を費やしても、どんなに収入が減っても、酒害相談活動は無償である。

われわれは断酒することによって、自分を愛することができるようになった。家族との愛も復活した。断酒仲間は勿論、自分の周囲にいる人たちまで愛せるようになった。人間愛という最高の愛を自分の手にした今、過去の自分と同じ悩みを持つ人たちに奉仕することは、当然すぎるほど当然なことである。

また、われわれが悩み苦しんでいた頃、先輩会員がわれわれのためにしてくれたことを思い出せば、酒害相談活動が有償であってよいわけがない。

われわれがやっと断酒に踏み切り、酒のない生活に歓びを感じ始めたとき、 「何かの形で恩返しをしたい」と申し出ると、「同じことを酒で悩んでいる人たちにしてほしい」と断られた。

受けた恩は次の人に、次の人はそのまた次の酒害者につなぐことが、断酒会式の恩返しだと教えられた。これは断酒会員ならではの愛であり、断酒会の尊い伝統である。

酒害相談以外の、断酒会員が他の会員のためにする行為も無償である。同志愛がさせるものであるからである。

広く社会に向って行われる酒害啓発活動も無償である。広い視野で考えると、酒害者をつくらないこともわれわれの酒害相談活動の中に入るのである。

ただし、例外も若干ある。

現在の全断連及び地域断酒会の事務処理は、会員たちの奉仕活動によって保たれているが、将来組織の拡大が進み、断酒会員を専従職として雇用する必要が生じたときは有償とする。自分の職を捨てて断酒会の仕事のみに従事する会員が無償であることは、無理がありすぎる。

また、組織の役員たちが、組織を代表して公的な会議に出席する場合は、交通費程度は支払われてよい。そうでないと、経済的に恵まれた人のみが役員にならねばならず、信望のある人が選ばれるという原則が崩れるからである。ただし、支給される交通費は機関の承認を得て予算化されたものである。

われわれの活動が無償であるからこそ、われわれは愛に充ちた日常活動に生き甲斐を感じているのである。

五 断酒例会はあらゆる条件を超えて平等であり、支配者はいない

酒害者の断酒を可能にする理由を一言で、と答えを求められると、「断酒会が実践第一主義の集団だから」と説明するしかない。

万事(ばんじ)合理主義が幅を利かしている現在、断酒例会にひたすら出席して、今日一日、今日一日と断酒の日を積み重ねているわれわれの断酒法は、あまりスマートではないかもしれない。

時間と労力を使ってあちらこちらの例会に出席しなくても、アルコール依存症の病識を徹底的に頭にたたき込み、自宅で心静かに自らを内観(ないかん)すれば、あるいは酒を飲まなくなるかもしれない、と思うこともあるだろう。しかし、そうした形の断酒を目指して成功した人はいない。

やはり、酒害者が酒を断ち、それを継続していくためには、からだを使って例会に出席し、足を使って酒害相談に駆けめぐり、そうした行動の中で酒害者同士が信頼を深め、自分を知る努力をするしかない。

であるとしても、ぼう大な時間と労力を要する苛酷ともいえる努力を、どうしてわれわれは進んで行っているのだろうか。それは、例会が魅力に溢(あふ)れているからである。われわれを引きつけて止まないからである。

断酒会は企業や組合のような縦組織を持っているが、われわれにとって一番大切な例会に関しては、組織として機能するのは例会場の設営までである。

例会の中身は、役職や断酒歴に関係なく平等な立場で参加したわれわれがつくる。縦組織とはまるで関係のない横一線の形で進められる。

会長や支部長が参加者に訓戒(くんかい)を垂(た)れるわけではない。断酒歴の長い会員が 新しい会員に酒のやめ方を教えるわけでもない。司会者が会員の発表に論評(ろんぴょう)を加えるわけでは勿論ない。われわれはひたすら自分の酒害体験と内面を語り、聞く。そこには感動と安らぎがある。例会の中に広い海のような自浄力(じじょうりょく)が生まれる。

断酒会が自由、平等を尊重する組織であることを一番わかり易く説明できるのがこの例会である。三十年断酒している会員と、昨日まで酒を飲んでいた会員の間には何の差別もない。それぞれが自分を自由に表現するだけである。発表内容についても自分自身のことだから、誰にも指示されず、誰にも気がねすることはない。その日のテーマがあったとしても、特にこだわることはない。今、一番話したいことを話すだけである。

例会の二時間という時間帯も、参加者全員に平等に配分される。司会者の唯一の役割は、その時間の公平な配分ぐらいのことである。ただ、自己表現のよくできない新入会員が、焦(あせ)ってつまったり、本心とは逆の方向に走り出したときには、彼を落着かす言葉をかければよい。現在悩み苦しんでいる会員が、苦痛を綿々(めんめん)と訴えているときは、時間が少々オーバーしても許してやったらよい。

独特の断酒論を押しつける会員、お説教ばかりする会員、ひいては例会そのものを取り仕切ろうとする会員。そうした指示者や支配者のいない例会は、自分を率直に語れ、人の話を謙虚に聞くことができて収穫が多い。心身の疲れがとれるので、少々疲れていても欠席することはない。

われわれは入会以来、どんな差別も受けなかった。古い会員は新しい会員に比べると確かに断酒歴は長いのだが、断酒会は断酒歴が長いからといって特別扱いをしなかった。なぜなら、両者ともアルコール依存症という同じ病気を持っており、この病気から回復するためには酒を飲まないことと、自分の人間としての在り方を生涯考え続けるという、共通した方法をとらなくてはならないからである。

新しい会員に比べて数倍、数十倍の断酒歴のある会員でも、長い断酒生活の中で断酒に取組む姿勢が消極的になると、人間的な成長も止まり、あるいは後退し、危険な状態になることもある。

一方、つい最近まで飲酒していても、再び真剣に断酒に取組むようになった会員は、ひたすら人間としての成長を続け、まったく不安を感じさせないのである。断酒会は社会一般の組織と違って、新しい、古いの比較で優劣の論じられない世界である。

しかし、残念なことに、断酒歴の長い人たちの中にその実績を誇り、自らをすぐれた断酒会員であると自己評価している人もいないわけではない。

確かに、十年、二十年と真剣に断酒に取組んでいる人たちは、その努力の過程で大きな収穫があり、それが蓄積された結果、人間として大きく成長する。そして、他の会員たちから高く評価されるようになるが、そうした人たちは決して自らを過大評価することはない。逆に、新しい会員たちから学びとるべきだと考えており、なぜ例会では平等でなくてはならないかについても、きっちりした判断を持っている。

そうした立派なベテラン会員たちは、例会に出席しても決して平等の原則を犯すことはなく、新しい会員と一体になってすばらしい雰囲気をつくるが、 自分を過大評価している古い会員は、原則を犯し、雰囲気を破壊し、その例会の衰退の原因となる。

支部長がもしそうした人間だったら、その支部例会を支配しようとするであろう。まず、支部の将来への展望について、得々(とくとく)と抱負を語るであろう。 そして、支部員としての在り方について酷(きび)しい注文をつけるであろう。自分の酒害体験などほとんどしゃべらないで、二時間の例会の時間帯の五分の一は使い、参加者はうんざりするか、反感を持つことになる。

正しい例会の持つ、なごやかな中にもぴりっとした雰囲気はなく、とげとげしい空気が流れるか、ざわめきだけでまるで緊張感がなくなってしまうだろう。彼なりの使命感がさせる発言であろうが、例会を駄目にすることには変わりはない。

指示的、支配的傾向の強い人なら、自分独特の断酒論を展開し、「おれについてこい」というかもしれない。自己批判をする勇気はなく、酒害体験を語ったとしても、単なる武勇伝に終わってしまうかもしれない。

司会者が支配者になってしまうと、もうその例会はまったく機能しなくなる。ひとりひとりの発表が終わる度に、いちいち批評するだろう。自分好みの発表は極端にほめ、反対の場合は注意したりする。あまりに発言の回数が多いため例会の流れは止まり、変に白々(しらじら)しい雰囲気になる。

とにかく、指示的、支配的傾向の強いベテラン会員が、われわれにとって一番大切な例会を駄目にする。われわれも深く注意すべきである。

例会をリードするのは役員、ベテラン会員、司会者等であると考えている人がいるかもしれないが、それは大きな誤りである。例会は特定のリーダーを必要としない。

参加者全員が原則通り、ただひたすら自分を語ることですばらしい雰囲気ができ、苦しみ悩んでいる会員が、たとえばかばかしいと思われることでも本音を正直に語ることで感動が生まれる。ベテラン会員が少しも思い上がらず、深い洞察力でじっくり自分を語れば、なごやかさと緊張感が同時に生まれる。

例会のリーダーシップをとるのはそうした複数の会員であり、ときには、全員がリーダーになる。

断酒会は例会中心の組織である。縦の関係より、横の関係の方が何倍も重要である。断酒会は平等という横の関係でほとんどの問題を解決している。 縦組織を持ちながら横関係を重視するのは、同じ病気からの回復という共通の目的を持っているからである。断酒会は特殊な組織であり、企業や組合と同じ縦割りになっていても、本質的にはまるで違うということである。

縦組織のリーダーとして選ばれた人たちは、それなりの人格、識見(しきけん)、行動力のある人であるが、その能力を発揮するのは組織の運営だけである。どんなに彼らがすぐれた人間であったとしても、組織から与えられた権限を例会にまで及ぼすと、せっかくの人望を台無しにし、ついには、断酒会そのものを衰退さす。

例会には酒害者でありさえすれば、あらゆる条件を超えて参加できる。過去数え切れないほど失敗した会員でも、何の非難もされない。現在飲酒していても、酔っぱらっていない限り発言できる。自分を失うほどの状態のときは、参加者たちによって制止されるが、それは例会の雰囲気を壊すことよりも、当人が素面(しらふ)になったとき恥ずかしい思いをさせないためである。発言内容によっては、自らを恥じて二度と出られなくなることがあるからである。

入院中の患者さんが出席しても、地域から直接参加しても、会員と同じ扱いを受ける。家族の場合も同様である。

断酒例会は常にオープンであるので、見学したい人はいつでも出席できる。 医療、行政関係者、マスコミ、一般市民等の参加を拒まない。例会を通してわれわれを広く知ってもらいたいからである。情報を通してだけの知識には、われわれに対する誤解が多すぎるからである。

現代社会で自由平等思想が一番具体的に表現されているのが、われわれ酒害者によって持たれている断酒例会である。

六 断酒例会は体験談に終始する

人は日々の生活体験を通してやさしさを育(はぐく)み、歪(ゆが)みをつくる。豊かな人間性を育て、壊す。長い人生の中で様々に変化する。そうした自分史をじっくり語ることによって、自分とは何か、生きるとはどういうことか、という人生の大テーマがくっきりと浮かんでくる。体験談以上に重みのある話はない。

中でもわれわれ酒害者のどん底体験はドラマチックである。ごく普通の生活から、酒のためとはいえ一転して敗者の暮らしに転落した。その泥沼から這い上がろうとしてはすべり落ちた。結果として自己破壊が進み、ついには自己喪失という最悪の状態にまで追い込まれた。

それが断酒会にめぐり逢うことによってまた一転し、喪失から獲得へ、依存から創造への道を歩んでいる。人生をスポーツにたとえると、われわれは一回きりのトーナメント戦を戦っているのではなく、リーグ戦を中盤から勝ち進んでおり、人生の敗者ではなかったことを実証した。その自分の酒害史と心の軌跡をじっくり語れば、もうこれ以上重い話はないであろう。

断酒会結成直後の高知の例会では、体験談はあまり語られていなかった。例会は月二回であり、半月ぶりに顔を合わせた出席者たちは、お互いの断酒を確認し、奮闘を賛(たた)え合った。そして、今後の健闘を誓い合って散会した。

体験を語るとしても、酒害ではなく酒歴の方を少し話す程度であった。何歳ごろから飲み始めたのか、どんな場所でどのくらいの量を飲んだのか、どれだけの借金をつくったのか、アル中になったのは何歳ぐらいであったのか、 酒乱型だったのかおとなしい方であったのか、といったような話で、一度聞けば二度聞く必要のないような体験談であった。

結成翌年の昭和三十四年は七十名近い入会者がありながら次々と脱落し、ただのひとりも断酒に成功する人はいなかった。そのことで全員断酒できていた結成メンバーたちは悩み、苦しみ、その原因を真剣に探るようになった。

その翌年の昭和三十五年の入会者も、前年同様落伍者ばかりであった。ところが、もっとも早く脱落しそうな感じの某(なにがし)のみがきっちり断酒できていた。某はただ一人、妻を伴って例会に参加していた。会長の松村春繁(初代全断連会長)はそれを見て、理由はよくわからなかったが家族の出席を促(うなが)すようになった。

当時の会員は明治、大正生まれの人が圧倒的に多く、自分の問題は自分で解決すべきだ。家族に協力を求めるのは男の恥であると考えていたので、某の妻以外の出席はなかったのである。

会員と同じ扱いを受けた妻たちは例会で、夫の酒の問題と、それに巻き込まれた自分の苦悩の体験を綿々と訴えた。ときには夫の悪口もあったが、それが参加者全員に感動をもたらし、例会の雰囲気を変えた。松村は家族の参加の重要性を敏感に悟った。

松村は例会で自分の酒害体験を話すことは稀であったが、以後、じっくり語るようになった。彼は、断酒会結成の一年半ほど前から自分ひとりで断酒していた経験があり、ひとりだけの断酒が可能だった原因を、ただひたすら自分のひどい酒の記憶を掘り起こし、当時の自分の心の動きを克明にノートに綴って反省したことにあると思っていたので、「例会は体験発表に始まり 体験発表に終わる」と例会の在り方を位置づけた。以来、断酒に成功する酒害者が格段に増え、現在ではこの考え方がごく自然に断酒会の原則となっている。

われわれが例会で発表する体験談はかなり幅広いものである。問題飲酒を始めた頃から断酒するまでの酒害体験、断酒してから今日までの様々な苦痛と歓びの断酒体験、そして、自らの酒害、断酒体験を通してつかんだものを基礎にした今後の自分の在り方。そうした流れの中の自分を語ることが原則通りの体験発表である。

しかし、一番の柱になるのは何といっても酒害体験である。酒に振り回されて行った様々な人間らしさを欠いた行動、あるいは非人間的ともいえる行動。その行動のくり返しの中で進んだ自己破壊。挫折、絶望感の末にあった自己否定。そして、最後に待っていた自己喪失。

酒と酒害者の本質的な関係をきっちり示してくれるのは、酒害によって引き起こした非人間的行動である。逆に考えると、そうした行動そのものが酒害である。当時のわれわれは、酒の命じるままにしか動けなかったからである。そうした酒害による自分の行動をしつこく掘り起こすことで、酒害の怖ろしさが見えてくる。

しかし、そうした酒害行動を話すだけでは充分ではない。もっと大切なことは、そうした行動の中での自分の心の動きを語ることである。そうでないと、酒で歪(ゆが)められた自分の本当の姿が見えてこない。

たとえば、Aの酒害行動と心の動きを例にとると、

妻と子供が粗末な晩飯を食べているところへAが帰ってくると、飲み代を支払ってもう半分も残っていない給料袋を妻に渡した。

妻は中味を改めると、Aを睨みつけて、「お父さん、これっぽっちのお金で、これからどうやって食べていくんですか!」と叫ぶようにいった。Aは一瞬びくっとしたが、妻を睨(にら)み返すと、「人間、道ばたの草を食っても生きていけるわ!」と叫んで、荒々しく家を出ていった。

この場合、Aが酒害のためにとった行動は、給料の半分以上をだらだらと飲んでしまったことと、妻に非難されると暴言を吐いて家を出ていったことである。

心の動きの方をAは次のように話した。「給料をまるまる持って帰ったことのない自分を反省しながら、恐る恐る給料袋を妻に差し出したところ、妻に攻撃された。妻のいうことは当然だと思いながら追いつめられたような気持になり、つい妻を傷つける言葉で応じてしまった。この暴言はわたしの悲鳴(ひめい)であり、いたたまれなくなって外に出たわたしは、自己嫌悪の塊(かたまり)になっていたと思う。しかし、家を出てからまた酒を飲みにいったことは、自分がいやになって飲みたくなったのではないのかもしれない。給料をかなり残してあることで、おれはまだまだ最低の酒飲みではない。であるのに、妻は憎しみと蔑(さげず)みをこめて責めた。そのことで腹を立て、目には目をと考えて暴言を吐き、うっぷんを晴らすために酒に走ったと考えることもできる。どちらが本当なのかよくわからないが、どちらも事実であると考えるようにしている。」

Aは体験発表で当時の自分の行動と心理の両方を語った。そのため、酒害がさせた人間らしさに欠けた行動と、自己破壊が進み始めていた自分の心を同時に知ることができた。それがAに酒の怖ろしさを再確認させ、心の内側を洞察する力をつける。そして、これからの断酒と自己改革に大きな力を発揮する。

Aの体験を聞くことによって、Bは記憶のかけらもなくなっていた自分の似た体験を思い出すことができた。Bの酒害行動と心の動きは次の通りである。

妻と幼い子供が梅干しだけのおかずで晩飯を食べているところへBが帰ってくると、ほんのちょっぴりしか残っていない給料袋を妻に渡した。妻は中味も改めないでBを睨(にら)みつけると、「お父さん、これっぽっちのお金で生きていけるとでも思っているんですか」と暗い声でいった。

Bは飯台の前にどっかり座ると、「戦争中はなあ、米の飯を食うことなんかめったになかったよ。米と梅干しがありゃあ、充分生きていけるさ」といって腰のポケットから出したウィスキーを飲んだ。

この場合、Bが酒害のためにとった行動は、家族の生活のことをまるで考えないで給料のほとんどを飲んでしまったことと、妻に非難されても何も感じず、逆に、お説教めいた話をしながらウィスキーを飲んだことである。

心の動きの方をBは次のように語った。「Aさんの体験談を聞いたことで、 その夜の記憶がはっきり戻り、その場の情景もくっきり浮かんでくる。後ろめたさのかけらもなかった。最低の食事をしている妻や子を哀れだとも思わなかった。人間らしい感情がなくなっていたためだろう。幼い息子が小さくなって梅干しをなめてる姿を思い浮かべると、いまさらながらに胸が痛む。 妻には土下座して謝りたい気持ちである。しかし、十年近くも経って、そのときの自分の心が見えるとは奇蹟(きせき)だ。Aさんに感謝する」と。

例会のマンネリ化が話題になることが稀にあるが、原因は例外なく、それぞれの酒害体験を語り切れていないことにある。

簡単にマンネリ化する例会では、体験が語られていてもそれが単なる酒歴に終わり、酒害の部分がほとんど語られていないことにある。従って、話題のなくなった会員たちは、それぞれの断酒論を闘わせたり、人の話を批評したりするようになる。もっと悪い、酒のやめ方の指導まですることもある。 例会の雰囲気が悪くなり、充分に機能しなくなる。

酒害行動が話されていても酒害心理の方が語られていないと、やがてマンネリ化につながる。前述(ぜんじゅつ)したように酒害体験とは両者を含めたものを指す。 われわれは酒のため、からだだけでなく心も病んでいた。その病んでいた心に迫ることができなければ、語られている酒害行動の原因も意味もわからなくなってしまうからである。

それに、誰かがマンネリ化しそうになったとき、それぞれの酒害体験が防いでくれる。Aの体験談からBが自分の酒害体験を掘り起こすことのできたのが、その具体例である。

それぞれの酒害体験がきちんと語られている例会には、マンネリ化などはないのである。

断酒体験をじっくり語ることも非常に重要である。断酒できたからといっても、飲酒時代に病んだ心が急回復する人は珍しい。われわれは例会に参加して、酒に支配されるようになった頃から現在までの心の軌跡を辿(たど)ることで、心の病んでいる部分を認識し、改善への努力をする。そうして断酒後のわれわれは着実に回復するのである。

かつての飲み友達を見かけると、慌てて逃げ出したりする。断酒への努力は誇れることであるのに、飲酒時代の見栄が劣等感に姿を変えていたりする。

飲酒時代から曳(ひ)きずっている自己中心性から抜けられず、家族の話に耳を傾けることができない。自分の考え方を一方的に押しつけて、家族を失望させる。夫婦喧嘩になることもある。

断酒が長く継続されても、酒以外のことに積極的になれなかった頃の癖が治らず、自分のやるべきことがどうしてもできない。何から何まで今でも家族に頼っている。

そうした様々な行動を通して、その裏で働いている自分の心理を知ることが、今後のわれわれにとって必要不可欠なものである。それができなければ、断酒継続すら危(あやう)いのである。

酒に支配されていた頃身についた、自分にとってマイナスになる発想、価値観を転換するためには、現在の自分の行動と心理を事実通り話すしかないのである。ただし、事実を語ることによって家族や周囲の人たちが傷つく怖れがあるときは、慎重になってもらいたい。人を傷つけても平然としているようでは、なかなか回復できないのである。

酒害体験、断酒体験と語り継いでいくと、必ず将来の自分のあるべき姿が浮かんでくる。それを語ることも重要であるが、体験談の最後にあるもので、しかも願望であるので、そんなに詳しく話すことはない。詳しくなりすぎると単なる理屈になってしまって、例会の雰囲気を壊すことがあるので注意を要する。

例会では自分の体験のみが語られている。自分をひたすら語り続けること で、われわれは自分の物語を持つようになった。詳細で、洞察に充ち、他のどんな人が持っている物語より価値がある。自分を変える力を持っているからである。

それだけではなく、この原則さえ守られていると何の問題も起こらず、われわれは常に魅力に溢(あふ)れた例会が持てる。人の体験談に注文をつけることは 不可能であるので、例会の中で意見対立や感情対立はあり得ないのである。

もし司会者にすぐれた能力が要求されるようなことがあったら、その例会が原則から外れたものであるので、ぜひ改めてもらいたいものである。

七 断酒例会は家族の出席を重視する

われわれ酒害者の断酒にとって、家族の協力は必要不可欠なものである。 しかし、なぜ協力が必要なのか、どんな協力方法が効果があるのかは、家族が例会に出席しないことにはわかってもらえない。

家族たちは例会に出席することによって、多くの先輩会員やその家族の体験談を通して、アルコール依存症という病気の実体を知り、今まで考えてもみなかった配偶者(もしくは親、子) の内面を知ることができる。そして、この病気と酒害者に対する認識を変えないことには、配偶者が回復できないことを知る。つまり、協力より先に酒害の理解があることを理解する。

また、アルコール依存症という病気は、われわれ酒害者が酒にすべてを支配される病気であると同時に、家族を巻き込んでしまう病気でもある。従って、酒害者である配偶者と生活を共にすることで、家族は大なり小なり心を病むようになる。連日の不安と苦痛が原因である。

その結果、配偶者との間に誤解が生じ、不信感が深まっている。人によっては憎しみさえ持っている。長い時間をかけてそうした否定的な関係になっただけに根深いものがあり、家族自身の心にも歪(ゆが)みやひずみを生じている場合がある。であるので、配偶者が本気で断酒に取組もうとしても、例会に出席しない家族が考えた協力法は、ときには配偶者の足をひっぱることがある。

また、そうした家族自身に生じた心のひずみを治さないことには、配偶者が断酒できたとしても、夫婦の関係は改善されない。家族も例会に出席して自らの病んだ部分を回復させるべきである。

断酒会は、家族に対して協力のみを要請するものではない。家族ぐるみの病気であるアルコール依存症から、共に回復していく組織である。断酒会が家族の例会出席を重視する所以である。

断酒初期の酒害者に家族のとる対応策は様々である。やさしく気長に見守ってやらねばならないケースもあれば、冷たく突き離すことによって、厳しい愛の姿を見せなくてはならない場合もある。

また、献身的な愛は賞賛されるかもしれないが、いつまでもやさしい配慮を続けていると、配偶者の自立の妨げになることもある。またそのことによって、家族はいつまでも主体性のある生活を取戻せない。厳しい対応ばかりしていると夫婦の関係が冷えてしまい、断酒できたのに家庭のトラブルが絶えないようになる。そうした難しい問題も、例会に熱心に出席していれば自然に解決法がわかる。

社会一般の夫婦と違って、われわれ酒害者夫婦は例会を通しての対話が必要である。それが続けられる中で、酒害の理解、夫婦相互の理解が進み、夫婦それぞれが抱えている問題等が詳しくわかる。われわれは自分自身の問題だけでなく、家族が持っている悩みや問題の解決に積極的に協力するようになる。それができることが、われわれの回復の証しでもあるからだ。酒害者夫婦が家庭内だけでしか対話を持てないと、誤解が生じることはあっても理解が進むことはない。

断酒会は、家族を会員と同じであると思っている。例会でも会員と同じように体験を語ることができる。家族が話してくれる、まるで記憶のないわれわれの酒害行動が、それぞれの記憶を取戻させ、断酒継続への大きな力となっている。

家族がわれわれのことを語り続けてくれることはわれわれにとって非常に重要だが、家族自身にとっては、自分の体験を語ることがもっと重要である。 われわれの酒に悩まされ、苦しみ、そうした生活の中で揺れに揺れた自分の 心の動きを語ることで、自分の持っている病んだ部分を回復させることができるからである。

われわれが自分の酒害の詳細な物語を持っているように、家族も酒害に巻き込まれて生きてきた自分の物語を持てば、自分の心の軌跡を辿(たど)ることができ、より早く回復できる。

酒害者が加害者であり、家族が被害者であるという考え方が一般的である。 それは否定できない事実であるが、家族がいつまでも被害者意識を曳(ひ)きずっていると、自らの回復が遅れる。

配偶者の断酒が続き、人間性が回復され、家族のために何ができるのかと真剣に考え、それを行動に移し始めているのに、そうした配偶者を許してやれない家族がいる。被害者意識から脱却できないためである。

われわれにしても、加害者意識が強すぎると非常に危険だ。しかし、過去のあやまちを認め、迷惑をかけた家族に償いをすることにしているので、加害者意識がどうしても少し残る。それに比べると、家族が被害者意識を捨てることはそんなに難しいことではない。これからの家族の幸せのためにも、 配偶者を許す努力をしてほしい。

断酒会には家族会や婦人部があり、自分たちだけの例会も持っている。家族だけでなければ話せないこともあるからである。こうした例会で、回復の遅れている家族の話を聞き、それぞれの体験をもち寄って助言しているが、非常に知恵のあるやり方である。

アルコール依存症は家族ぐるみの病気であるので、家族ぐるみで治していかなければならない。そのために、家族ぐるみで例会に参加すべきである。

八 断酒会は酒害相談はもとより、啓発活動を通して社会に貢献する

断酒会員の誠意ある説得で断酒会につながり、現在、「断酒幸福」を自らの手にした人は数え切れない。

われわれは断酒できた歓びを断酒会に感謝すると同時に、時間と労力をいささかも惜しむことなく、われわれのために誠意の限りをつくした先輩会員に心から感謝している。そして、そうした人間愛に充ちた行動が一部の会員に限らず、断酒会員全員の使命であり、断酒会の伝統であることを知った。

会員同士の一体感が自らの断酒を可能にし、断酒会を支える最大の力になっていることも知った。また、その一体感が会員だけに限らず、広く酒害者同士にもあるべきものだと理解し、現在、積極的に酒害相談活動に取組むようになった。

従って、断酒会は自らの断酒のみならず、酒で苦しんでいる地域の酒害者のために何をすべきかを常に考え、積極的に援助活動をする組織である。援助活動の大半は酒害相談であり、われわれの義務といえるものである。

またわれわれの活動は、酒害相談活動に止どまるものではない。

近年、アルコール依存症に対する社会の関心が高まり、われわれ断酒会員の役割は、酒害者だけが対象ではない時期になっている。

断酒会は元来、酒害者が自らの意思によって酒を断つ組織である、という認識で現在まで成長してきたが、もう一歩踏み込んで考えると、断酒会は酒害者の最後のひとりも残さないという大目的を持つ組織であり、それは断酒会を必要としない社会をつくることでもある。

そうした悲願を達成するためには、酒害相談のみならず広く社会に向って酒害の怖ろしさを伝え、酒害者をつくらないための酒害啓発活動を行う必要がある。酒害の知識のない人、誤った知識を持っている人たちを啓発することで、過去、社会に何の貢献もできなかったわれわれが、社会に貢献し、社会にとっても必要な人間になることができる。

断酒会は廃酒思想を持っていない。社会に酒のあることを容認しながら、 自らの酒を否定する組織として発足したために社会に受け入れられた。断酒会は会員が姓名を名乗るという原則を持つことによって、個々の存在が知られ、地域の多くの酒害者の断酒を可能にした。断酒会活動の最後にあるものは、酒害者をつくらないための啓発活動である。

問題飲酒が始まっているのに、自分を適正飲酒者だと思っている人がいる。 家族は悩んでいるのに当人は何の不安もない。そうした家庭に酒害の実体を伝えるのも断酒会の仕事である。

挫折が原因で一時的に酒を乱用している人を、われわれと同じ酒害者にしないため、酒害の正確な情報を与えることも断酒会の役目である。

適正飲酒ができていても、将来に不安を持っている人や家族がいる。そうした人たちの相談に乗り、転ばぬ先の杖になるのも断酒会の役割である。

まだ飲酒経験のない若者たちに酒害の怖ろしさを伝えるのも、反面教師としての断酒会員の役割である。学校教育だけでは本当の怖ろしさが充分理解されないと思うからである。

そうした幅広い活動がなされることによって、断酒会の存在価値が広く社会に浸透し、今後の断酒会活動をより容易にする。

九 断酒会は会費によって運営される 但し補助金 善意の寄附金等を受けることができる

断酒会は酒害者による酒害者のための組織であるという認識が、どんなに重要なものであるかをわれわれは知った。この言葉の持つもっとも重いものは、断酒会は断酒会員の主体性のある運営によるものでなければならないということである。従って、断酒会の運営に必要な経費はわれわれの支払う会費によって賄(まかな)わなければならない。そして、われわれの支払う会費は会の運営に役立つだけでなく、自分自身に大きな収穫となって還元される。

価値のあるものに金を支払い、ないものには支払わないのが人間の法則である。われわれが会費を支払うのは、断酒会があるからこそ自分の断酒があるのだという、もう絶対的ともいえる価値観を断酒会に持っているからである。

入会当初は、そんなことはわからなかった。苦痛と歓びが交錯(こうさく)する断酒生活を続けるうちに、何から何まで一方的に断酒会に依存していては、自分の断酒も危いものだと考え、やがて、自分は断酒会を支えている一本の柱でもあるという自覚を持つようになった。自分の断酒に必要な経費は自分が支払うしかない、会費の支払いはその最初にあるものだ、と考えるようになった。 自立心の芽生えである。

断酒会にたいして価値を認められない人たちは、会費を滞納するようになる。滞納することによって例会出席が消極的になり、やがて落伍(らくご)する。会費を払わなくてすんだものの、自分の人生を投げることになる。

同じような傾向のある人でも、会費を支払うためにしぶしぶ例会に出席しているうちに、いつの間にか断酒姿勢が変わり、断酒会と自分の断酒に価値を見出すことになる。

断酒会は自助集団だから、自分に必要な金は自分が支払わなければならないといってしまえばそれまでだが、会費を支払うことはわれわれにとって、必要不可欠な断酒法のひとつである。

もし断酒会が、国や地方自治体の補助金や個人の寄附金のみで運営されるようになったら、いったいどんな事態を招くことになるだろうか。

われわれが飲酒時代に身につけた依存的傾向は少しも改善されないだろう。 従って、自立心の回復もないだろう。他人まかせの会員たちばかりになり、会はまるで活気のないものになるだろう。ついには、われわれは断酒することの意味もわからなくなり、会の崩壊につながることは必至(ひっし)である。

断酒会の主な活動内容は、例会、研修会、記念大会、ブロック大会、全国大会等の開催。機関誌、ポスター、パンフレット等の製作。その他、酒害相談活動や酒害啓発活動のための様々な行事等がある。

このうちの大半は、会費や参加料等で賄(まかな)われているが、断酒会は経済的に貧しい組織であるので、会員以外のために使う費用、時に酒害啓発活動に必要とする費用には頭を悩ませている。費用の関係でほとんど行っていない断酒会もある。われわれの奉仕活動にも経済的な限界がある。

そうしたとき、行政の補助金や、断酒会を利用する気のまったくない人たちの寄附金は、活動を活発にする。自助集団でありながら、補助金、寄附金を受けることを認めている理由である。

補助金、寄附金がなくても、断酒会が経済的な理由で崩壊することはあり得ない。しかし、われわれはもう少し経済的なゆとりを持つことで、広く社会に酒害の理解を求める活動を拡大することができる。

十 断酒会は政治、宗教、商業活動に利用されない

断酒会は、例会に於ては体験談に終始するという原則を持っているが、組織の運営を討議する理事会、代議員会等では、何でも自由に討論することができる。ただし、政党、宗派の問題だけは例外である。

断酒会にはあらゆる政治思想、信仰を持つ人が入会している。政治思想、 信仰は、信奉(しんぽう)する人にとっては絶対的ともいえるものであり、そうした議論の中で起こる確執は断酒会員の融和、一体性を損なうだけでなく、将来にしこりを残すからである。

また、そうした議論の中でもし意見統一があった場合は、断酒会は政治、 宗教に利用される怖れがあり、「断酒会は人間愛に充ちた純粋な奉仕団体である」という、基本理念を捨てることにもなるのである。

確かに断酒会は、政治的に動くことはある。地方行政機関に様々な要請をし、政治家に協力を求める。しかしそれは、地域の酒害者を救済するためのものであり、酒害啓発活動をより効果的にするためである。つまり、断酒会活動の一環として行っているものである。また、協力を要請する政治家は酒害問題に理解を示す人に限られており、かつ党派を超えたものである。

断酒会は政治的に動いても、政治的に利用されない組織である。選挙等には一切関与しない。また、宗教団体の協力があったとしても、断酒会を布教の場にはさせない。酒害問題は社会全体の問題であり、われわれの活動に協力することは彼らの良識であり、見返りを求めないはずである。

断酒会は財源が乏しいので、活動資金を得るために出版や商品の販売を組織として行うことがある。これは止むを得ぬ手段であるので許される。ただし、酒害問題に直接、間接的に関係のあるものの販売が常識である。

会員個人、もしくは外部の者の利益のために、断酒会の中での商行為は許されない。断酒会の純粋さを侵(おか)すだけでなく、会員同士の人間関係の悪化につながるからである。